あたしのオタクスタンス

今回はついにあたしのオタクスタンスについてツラツラと書いていこうと思う。わかる、、、、、ってなってくれる人もいるだろうし、は?ってなる人もいるだろうな、、、、

 

 

あたしは結構昔からけーぽぷが好きな人間として生きてきたが、エクセル時代、SONE時代、N市民時代はオタクと言っていいものか、、と今になっては思う。オタクというよりファン。同じ空間にいられるだけでうれしいし、ライブやコンサートでも2階席だろうが何でもよかった。そりゃあ同じ値段なのになんで2階席なんだと思ったことはあったけど始まってしまえば推しが歌っている空間、雰囲気、その場にいられることが嬉しくて楽しかった。

 

 

 

だけど、そんな気持ちもいつの間にか違う気持ちへと変わっていった。最初に変わってしまったのは同担拒否になったしまったこと。それまでは同担とツイッターを繋がることなんて何とも思ってなかったしなんなら推しについて語れるのが楽しかった。でも今の推し1(あたしには今ガチで追っている推しが2人いるので1、2とする、、)を好きになってから同担が無理になってしまった。これにはいろんな理由があるんだがそれはまた別の機会に書きたい、、

 

 

 

 

 

 

 

推し1を推し始めて、あたしは「オタク」になった。推し1にたくさん会うためにバイトだって始めたし、親に引かれるくらいリリイベで積んだりもした。そんなあたしだがなななんと推し1のペンサにはまだ行ったことがない。タイミングやお金、パスポートなど、そこまでの気力がなかった。モチベは十分にあった。

 

 

 

 

 

 

推しを追うのにはまず、お金が必要不可欠だった。でもあたしはただの田舎の高校生だったから大金を用意できるわけじゃない。だから、出ていくお金を減らそうとした。服が欲しいと思っても一旦よく考えてみる。「これはほんとに今必要か?」「これを買ったらアルバム〇枚か、、、」そう考えると物欲はあるがお金は出さなくなった。だけど、前も書いたように我慢すればするほどここまで我慢してあたしはなにがしたいんだ??となったしまう時が多々ある。あたしだって服は欲しいしコスメも欲しい。でも推しにも会いたい。収入は限られている。我慢するしかない。何も考えずに欲しいものをたくさん買っている妹が羨ましくなったことが5億回はある。(流石に盛った)

周りや、あたしのようにケチって生きてない人から見ると(よく言えば節約だよね)あたしはどれだけ滑稽に映ってるんだろう。

 

 

 

 

 

趣味はあくまでも趣味なのに。こんなの趣味じゃない。自分が他にしたいこと、欲しいものを我慢してまでバカみたいな金額を推しに会うためにつぎ込む。趣味が趣味を超えてしまっている。人生が趣味になってしまって趣味が人生になってしまった。

 

 

 

 

ふとした瞬間に俯瞰で自分を見ると寒気がして気持ち悪くなる。

 

 

 

 

 

 

何やってんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なのにビジュアルが神っている推しを見るとまた頑張ろうとなってしまう。推しに会って、話せるのが幸せだから。もちろん推しが歌っているところを見るのも。

 

 

 

 

 

去年の5月、あたしは友達のおかげで推し1がいるグループのペンミで2列目をゲットした。たくさん推し1は構ってくれて幸せだった。それと同時にあたしはもう後ろのほうでは見れないな、と思ってしまった。一度味を占めたらもう元には戻れない。二桁なんて論外だな、昔は同じ空間にいられたら嬉しかったあたしですらそんなことを考えるようになってしまった。

 

カムバした時の韓国あるある、動画をたくさん出されるのも嫌だった。その時は他の同担よりも早くツイートしなきゃなどと考えて辛かった。素直に推しが楽しめない。気が付いたらほかの同担より上に行くことだけしか考えてない毎日だった。

 

仲のいい友達が他の同担と仲良くしてるのを見て妙な焦りを感じたことも何度もあった。もやもやして、何に対してかは自分でもわからないけど、焦る。

 

 

 

 

そんなことが疲れてしまって、ついにあたしはツイッターのオタ垢を鍵垢にした。小さな繋がりだけでいい。他の仲間はもういいのだ。今いる人たちを大切にしていこう。同担のことは考えないようにしよう、そう思って同担は見つけるたびにミュートしていった。(狂気の沙汰)でも自分でミュートしたくせに同担のツイッターを覗いてはよく自爆している。あたしは極度のあほだ。

 

 

 

自分よりもいい対応をされていた同担、自分よりも何倍も可愛い同担、お金のある同担、全ていやだ。ただそんなあたしにも大丈夫な同担がいる。それは推しよりも年上の同担。あたしよりもだいぶ年上の同担。どんなにお金を持っていても、いい対応をされていても所詮おばさん、と考えると不思議とどうでもよくなった。(あっちはあっちであたしのことをガキだと思ってるんだろうなあ)

 

自分の性格の悪さがすべてオタ活に滲み出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして最後に、なんといってもオタ活をした後に冷静になって毎回自分を見返すと死ぬほどきもい。オタクとして、ではなくて話していた自分、韓国語を必死に伝えようとしたけど中々伝わらなかった自分、ペンサをもらおうとペンラやうちわを振る自分、全てが消えたい要素でしかない。

 

 

だからリリイベなどの後はそんな自分を思い出したくなくてそのリリイベの時の曲は聞けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまでひたすらに病んできたけど、やっぱり楽しいものは楽しいんだ。

 

 

 

 

 

だからまたあたしは同担がいい思いをしませんように、推しがあたしを覚えてくれていますように、と願いながらお金を貯めている。そしてまた色々な複雑な気持ちを抱えて現場に挑むのだ、、、、、、